Vol.1 経済学部41期横川和弘さん

  東京都出身。荒れた中学時代を経て都内の公立高校へ進学するも、1年次に退学。しかし、その逆境をバネにオーストラリアの高校で1年間の留学を経験。帰国後、公募推薦で創価大学へ入学し、2011年の夏休みにはフィリピンへの旅で貧困の実態を初めて目にする。現在は経済学部のIPと経済理論同好会で日々勉学に励んでいる。

好きな本は「Long Walk to Freedom」。 尊敬する人はSteve Biko

   高校退学。オーストラリア留学。フィリピンへの旅で見た貧困。一風変わった経験をしている横川和弘さんは、現在経済学部の1年生。IPInternational Program)を履修している他、経済理論同好会にも所属し、経済学の勉強にも余念が無い。そんな横川さんが創価大学に入学するまでに通った道のりはどの様なものだったのだろうか。また、今の横川さんのルーツにはどの様な経験があるのだろうか。今後の目標も含め、お話をシェアして頂いた。

 

高校退学。そこで見つけた「オーストラリア留学」という選択肢。

 

―まず、高校時代のお話から伺いたいと思います。高校を1年生の時に退学してしまったそうですが、どの様な経緯があったのでしょうか?

 

横川 僕は元々調理師になりたくて、調理師を目指せる食品科がある都内の農業高校に入りました。入学当初は友達もたくさんできて、毎日本当に楽しかったです。また、小学校の時に野球をやっていたので、高校では野球部に入りました。その高校の野球部は、当時部員が9人しか居なくて、練習は自由な雰囲気だったし、公式戦に出るために人員が足りない時には友達を呼んだりしてました。弱小中の弱小だったんですよね。(笑)野球部の顧問の先生も本当にテキトーで、練習にもほとんど顔を出さないし、試合の時にも遅刻をしてくるような先生で。(笑)でも、ある日また顧問の先生が遅刻をして試合ギリギリになって到着した時、その試合の審判から、「次また顧問(オーダー表のことだが、それは顧問が持っていたもの。)が遅刻して来たら次回からは公式戦へ出場させない」と言われてしまったんです。公式戦へ出れなくなるのはどうしても嫌だったので、後日職員室へ行き、先生に直談判したんです。公式戦には遅刻しないで来てもらえないかと。その日以降、先生の僕に対する態度が急変しました。また、その先生は僕の体育の授業の先生でもあって、授業の時にも僕にはあからさまに冷たい態度をとってきたり。これがしばらく続くと僕もいい加減頭に来くるようになり、ある日授業中に先生と口論になってしまいました。それ以降先生との仲は最悪で、結果的に体育の授業の単位はもらえませんでした。僕の高校では単位をひとつでも落とすと留年しなければならず、仕方がないので僕も留年するつもりでいたのですが、担任の先生から「君は留年させない。留年しても、進級できる見込みが無い」と言われ、自主退学を強いられました。そう言われた時は、キレまくりましたね。(笑)でも、最終的に、退学するしか道はありませんでした。

 

―高校を退学した後はどうされたんですか?

 

横川 父に相談した時に、実は父も学校を退学した経験があり、その後意地を張って学校に行かず、それを後悔した(しかし結局その後は定時制の高校に通った。)という話を聞きました。さらに「金は払うから、意地を張らずに学校へ行け」と言われ、通信制高校に入り直すことにしました。

 

―通信制高校で勉強を始め、その後オーストラリアへ留学されたそうですが、どういった経緯で留学を意識し、決意されたのですか?

 

横川 ある日、母のパート先の同僚の娘さんが、日本の高校には通いたくないからと、アメリカの高校へ留学しているという話を耳にしました。それで、(興味を持ったきっかけは農業高校のときの留学生との出会い)少し留学に興味を持って、その留学されている方が利用した留学エージェントに行ってみたんです。そしたら、なんとそのエージェントの方が僕のことを知ってくれていて。(笑)というのも、実は僕が通っていた高校にはオーストラリア人の留学生が居て、結構仲良くしていたんです。そして、実はそのオーストラリア人もそのエージェントを使っていて、職員の方と学校について話す時に僕のことも話していたみたいなんですよね。(笑)「こんな偶然あるんだ!」と驚きました。そこからですね、オーストラリアへの留学を意識し始めたのは。

 

―オーストラリアへ留学される際には、何か試験などはあったのでしょうか?

 

横川 はい。留学へ行くためには、英語のテストに合格する必要がありました、そのテストを受験するためには、まずそのエージェントに受験の予約をしなければいけないのですが、僕がテストを受けるための予約をしようとエージェントに電話した時に、「テストの予約は既にいっぱいです」って言われてしまったんです。それを聞いてがっかりしていると、その電話口の方が、「もしかして横川さんですか?」と聞いてきて驚きました。実は、最初にエージェントを訪れた時に僕の事を知ってくれていた方が、僕が訪れた後に退職してしまったのですが、「横川君はきっと留学試験を受けにくるから、座席残しておいてあげて」と他の職員の方へ伝えていてくれていたんです。そのおかげでテストを受けることができて、無事合格し、オーストラリアへの留学を決めました。

 

 

「世界は広い」と実感した

オーストラリア留学

 

―オーストラリアでの留学はどうでしたか?また、どの様なものを得ましたか?

 

横川 はじめは、まったく英語ができない上にシャイだったので、あまり友達ができませんでした。最初の方は日本人の人とずっと一緒に居て、日本語ばかり喋っていた時期もありました。でもある日、その人とランチを食べている時にふと思ったんです。「このままだと、留学は日本語を話すばかりで終わってしまう」と。それからは、アウトドアの授業などを通して自然と友達ができるようになりました。そのうち、パーティとかにも誘われるようになり、友達もどんどん増えて行きました。また、ホストファミリーにもとても恵まれました。ホストファザーはロジスティックスの企業のCFOで、最初の夜に「オーストラリアのどこに行きたい?」と聞かれた時に「エアーズ・ロック!」と言ったら、20日間の家族旅行を「カズのための旅行」として企画してくれ、エアーズ・ロックやそれ以外の場所にも連れて行ってもらいました。また、「カズは息子だ」と言ってくれたことが、とても嬉しかったです。3カ月後にはホストが変わる予定でしたが、とても仲良くなったので、ずっと一緒に暮らし、日本へ帰国する前には本当の家族の様になれました、

 今思うと、オーストラリアへの留学を通して英語力がかなり伸びたのと、「世界は広い」と強く実感するようになりました。その「世界は広い」という感覚が、僕がそれまで持っていた料理人になる夢を超えていき、「もっと勉強したい」と思うようになりました。その結果、大学への進学を決め、英語で経済学を学べる創価大学の経済学部への入学を決めました。

 

―もうすぐ1年次も終わりますね。創価大学での最初の1年はどうでしたか?

 

横川 2011年は、とても活発に動けた年だったと思います。大学に入り授業が始まってからは、様々な先輩方にお話を伺いに行き、IPを履修し、クラブにも入りました。また、途上国へ興味があったので、夏休みにはフィリピンにも行きました。その時にフィリピン大学に留学していた創大の先輩に、フィリピン大学内の安いホステルを紹介してもらい、その繋がりで授業でSAをしている方と知り合いになりました。そのSAの方のおかげで大学の授業を見学させて頂いたり、マニラにあるスラムにも連れて行って頂けました。そのスラムを見て、改めて日本はとても恵まれた環境だと思ったのと同時に、食べ物を粗末にするのを止めようと思いました。また、フィリピンへ行く前は、貧しい人たちをとても悲観的に見ていたところがあったのですが、実際にスラムを訪れそこの住民の方々と話してみると、実はみんな心はとても豊かで、僕たちは途上国の人のことを勝手に「貧しい」と決めつけているんじゃないか、と思うようになりました。

 

―今後の夢や目標などをお聞かせ下さい。

 

横川 大学を卒業するまでに、20カ国へ行きたいです。それも、南極・北極以外の大陸を制覇したいんです。(笑)色んな国へ行ったらいっぱい友達ができるじゃないですか。友達が多いと楽しいし。大学を卒業するまでには、世界中どの国に行っても、友達がいるような自分になりたいと思っています。また、卒業後のことはまだ詳しくは決めてないですが、将来は途上国で、生活インフラや、生活水準の向上などに貢献できる仕事をしたいと思っています。